今回はブランド品の中でも高価買取されるひとつのプラダをご紹介いたします。プラダというとその歴史を築いたミウッチャ・プラダが有名ですが、創業という意味で考えると1913年にまで遡るのです。
創業者:マリオ・プラダ
創業者はミウッチャの祖父であるマリオ・プラダ、そしてその弟のマルティーノ・プラダの2人になります。ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世のガレリアに「プラダ兄弟」という店舗を構えました。創業当初のプラダはスーツケースやトランク、旅行かばん、パーティバッグなどを揃え、クロコダイル、パイソン、象やセイウチなどラグジュアリーレザーのなめし革を使うという豪華なものでした。
順調に事業が進んでいたプラダ兄弟は、マンゾーニ通りに2号店を開店、順風満帆に見えていたのでありましたが、しかし、時は戦時の真っ只中、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての時代には、プラダ兄弟の高級革製品というのは時代に全くそぐわないものになっていきました。そもそも旅行かばんなど何の役にも立たない時代になってしまったのです。
ミウッチャ・プラダとパトリツィオ・ベルテッリ
プラダの躍進の開始はやはりミウッチャ・プラダがオーナー兼デザイナーとして活動を開始した1978年より始まります。しかし、その始まりには少し前のある出会いが重要なきっかけとなっていました。それはミウッチャとその夫となるパトリツィオ・ベルテッリとの出会いです。
最初の出会いはベルテッリがプラダのバッグをコピーして革製品の見本市でブースを立てていたことからです。ミウッチャ画素の噂を聞きつけて、ブースに乗り込んだのですが、そこで紆余曲折を経てベルテッリのイタリア皮革製品社とプラダが生産と独占販売のライセンス契約を結んだのです。
1979年には2人は恋人にもなるのですが、ビジネス・パートナーとして、また恋人として2人3脚でプラダというブランドを築き上げていくのです。
プラダは新しい一歩を踏み出さなければならない
プラダというと避けては通れないのが、ナイロン製のバックパックです。このバックパックが生まれるきっかけとなったのは、ベルテッリの一言でした。「プラダは新しい一歩を踏み出さなければならない」
1970年代後半ミウッチャは、これまでにない新しいものをつくろうとまだ見ぬ素材を追い求めました。そして行き着いたのが、ミリタリー用品の工場で見つけたポコノという素材でした。シルクのように軽く、丈夫で撥水性があり、手触りもよく、この素材を大変気に入ったのです。この素材を使って作られたのが、プラダの代名詞ともなるバックパック。
最初はこの時代の人気のバッグとは全く違うものだったのでなかなか受け入れられませんでしたが、徐々に人気を獲得していき、1980年代なかばには一種の社会現象ともなるほどのアイテムになりました。
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