国王は君臨すれども統治せず~ジョージ1世の国政と金貨~イギリス金貨の歴史
英国アンティークコインについてのコラムです。時は1714年夏、アン女王崩御後、ハノーヴァー朝の第一国王となったジョージ1世。即位時の年齢は54歳、ドイツで生まれ育ったジョージ1世は英語が話せない状態での即位でした。国王在位中もドイツで過ごすことが多く今日まで続くイギリスの議院内閣制のきっかけをつくったとされます。今回は買取専門店こちら買取本舗がジョージ1世の半生とジョージ1世金貨の発行についてお話いたします。
ジョージ1世の生い立ちは?ドイツ生まれドイツ育ち
18世紀のイギリスで活躍したジョージ1世のドイツ名は、ゲオルク・ルートヴィッヒ。彼は、1660年にドイツのハノーファーで誕生します。当時のドイツは神聖ローマ帝国の統治下にあり、複数の領邦に分かれていました。ジョージ1世の父は、ハノーファー選帝侯のゲオルク・エルンスト。母は、イギリス王室の血を受け継ぐゾフィー・フォン・デア・プフォルツです。
ゲオルク・ルートヴィッヒは、弟であるフリードリヒ・アウグストとともにハノーファーで養育されました。
ちなみに、ゲオルク・エルンストとゾフィー・フォン・デア・プフォルツの間には、神聖ローマ帝国の将軍として活躍したマクシミリアン・ヴィルヘルムや、ブランデンブルク選帝侯の妃となったゾフィー・シャルロッテなどの複数の子供たちがいます。
イギリス国王になる前にも!?ドイツのハノーファー選帝侯地位継承
ジョージ1世となったゲオルク・ルートヴィッヒは、ゲオルク・エルンストとゾフィー・フォン・デア・プフォルツの最初の子供であったため、出生の時点で父親であるゲオルク・エルンストと、子供がいない伯父たちの財産を相続することが半ば決まっていたと言えます。ただ、このような状況でも、伯父たちが結婚をしてあらたに子供が生まれたときには、少し話が変わってきます。実際、ゲオルク・ルートヴィッヒの伯父たちも、彼の継承権に疑問を持ち、一時は後継者としての地位が危ぶまれたこともありました。最終的に、伯父たちに継承権を持つ男の子が生まれなかったこと、ハノーファー家で長子相続が決定したことなどから、ゲオルク・ルートヴィッヒは継承権を取得することになります。
ゲオルク・ルートヴィッヒがハノーファー選帝侯となったのは、父が亡くなった1698年です。選帝侯になってからは、宮廷にバロック音楽で知られるゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルや数学者のゴットフリート・ライプニッツなどを招いて交流を行いました。ゲオルク・ルートヴィッヒは、1701年にはガーター勲章を授与されます。彼は、スペイン継承戦争などでも大きな功績を残しました。
ジョージ1世、6親等血族でイギリス王位継承
ハノーファー選帝侯であったジョージ1世がイギリス王に即位したのは、1714年8月のこと。当時のイギリスを統治していたアン女王が逝去し、血縁であったゲオルク・ルートヴィッヒがジョージ1世としてイギリスの王位につくことになりました。同年の10月には、ウェストミンスター寺院で盛大な戴冠式が行われています。彼の即位は、イギリスの民衆からは必ずしも好意的に受け止められていたわけではありませんでした。実際、イギリス国内では戴冠式に不満を持つ人による暴動も勃発しています。
イギリス王になったゲオルク・ルートヴィッヒは、当時54歳。ハノーファー選帝侯も兼ねていた彼は、ハノーファーとイギリスを頻繁に行き来する生活を送っていました。イギリス王となってからも、時間の約5分の1はハノーファーで過ごしたという説があります。英語を理解しなかったジョージ1世は、イギリスの政治にも関心が薄く、ロバート・ウォルポールなどの閣僚たちに統治を任せる傾向がありました。当時のイギリスは、議会が権力を持つ立憲政治が進んでいたこともあり、ジョージ1世の統治のスタイルは内閣の影響力をより強固にしたと言われています。イギリスの「王は君臨すれども統治せず」のスタイルは、彼の時代から本格的に始まりました。
5ギニー金貨はまさにレア!ジョージ1世金貨
ジョージ1世が戴冠式を迎え国王になったあと金貨が発行されました。ギニー金貨は1714年~1727年に毎年発行されました。5ギニー金貨は1716年、1717年、1720年、1726年に発行されました。ギニー金貨は品位が金0.9170で、5ギニー金貨は約41.8gの質量があります。
表面のデザインは月桂冠をまとったジョージ1世の横顔肖像で、裏面はハノ―ファー家紋章と4つの盾です。イギリス歴代国王の中でも残存枚数が少ないとされるジョージ1世の金貨。5ギニー金貨の1720年はその中でも希少年号です。肖像は5種類あるようです。コインマーケットに中々でてこない英国金貨の一つです。
ジョージ1世の結婚生活は?離婚後に夫人は幽閉!
ジョージ1世の妻となったのが、従妹であったゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレです。ゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレは、絶世の美女と噂されたほど美しい女性でしたが、姑にあたるジョージ1世の母と折り合いが悪く、国王との仲も疎遠になりがちだったと言われています。結婚後、ゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレとジョージ1世の間には2人の子供が生まれます。しかしながら、ゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレの愛人関係が発覚したことがきっかけで、ジョージ1世は彼女を約30年間アールデン城に幽閉。ゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレは、死去するまで幽閉の身でした。
ジョージ1世の愛人として知られるのが、エーレンガルト・メレジーネ・フォン・デア・シューレンベルク。ドイツ貴族の娘である彼女は、当初はジョージ1世の母ゾフィーの侍女でした。ジョージ1世と彼女は、宮廷でも半ば公認の関係になります。彼は彼女にマンスター侯爵夫人などの称号を与えて、社会的にも優遇をしました。ただ、彼女と結婚に至ることはなく、エーレンガルト・メレジーネ・フォン・デア・シューレンベルクは、生涯愛妾として過ごしたと伝えられています。
ジョージ1世の子供たちは?次期国王ジョージ2世も
ジョージ1世とゾフィー・ドロテア・フォン・ツェレの間に生まれたのが、後のジョージ2世になるゲオルク・アウグストとゾフィー・ドロテアです。ゲオルク・アウグストは、1727年から1760年までイギリス王として君臨しました。ソフィー・ドロテアは、後にプロイセン王国のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世と結婚します。ゲオルク・アウグストとゾフィー・ドロテアは幼いころに母が幽閉の身になったため、母親への思い入れが人一倍強かったと言われています。
愛妾であるエーレンガルト・メレジーネ・フォン・デア・シューレンベルクとジョージ1世との間には、3人の娘がいます。1人目がアンナ・ルイーゼ・ゾフィー・フォン・デア・シューレンブルク。2人目がペトロニラ・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルクです。
ペトロニラ・メルジーネ・フォン・デア・シューレンブルクは、後にウォルシンガム女伯爵となりました。3人目のマルガレーテ・ゲルトルート・フォン・エインハウゼンは、結婚後、20代半ばで亡くなっています。
ジョージ1世の晩年は?世界貿易の発展にむけて条約を結ぶ
晩年のジョージ1世を支えていたのは、政治家のロバート・ウォルポールです。彼は、ジョージ1世にイギリスの伝統的な騎士団憲章であるバス憲章を復活させるように働きかけました。晩年のジョージ1世は、外交の場ではさまざまな功績を残します。
彼が実績を上げたのが、貿易についてのルールを定めたハノーファー条約やウィーン条約などです。ただ、晩年になってからも、ウォルポールなどの閣僚に政治を頼るジョージ1世の姿勢は、依然そのままでした。ジョージ1世にとって、次第にウォルポールは欠かせない人材になっていきます。
ジョージ1世が逝去したのは、1727年の6月のこと。彼はハノーファー行きの途中で倒れ、旅先で息を引き取りました。ジョージ1世の墓は、第二次世界大戦後にハノーファーのヘレンハウンゼン王宮庭園に移されます。ヘレンハウンゼン王宮庭園は、ハノーファー家の歴史を伝えるドイツの大庭園。4つの庭園があるこちらの施設には、ハノーファー家の霊廟や博物館、植物園などが設けられています。
ジョージ1世金貨買取やアンティークコイン買取はこちら買取本舗へ
如何でしたでしょうか?ジョージ1世と半生とジョージ1世金貨についてお話をしました。歴代イギリス国王の5ギニー金貨シリーズはコイングレーティング機関の等級付さらたものは驚きのお値段になります。何百万、何千万、何億と歴史とロマン溢れる金貨は手の届きずらい夢のような価格ではありますが、実際コインのコレクターや富裕層の投資目的や資産確保のために購入されているのです。
ジョージ1世のコインは銀貨も発行されています。流通用のペニーやシリング銀貨から鑑定機関が高判定をはじきだすクラウン銀貨まで幅ひろくお買取りのお取り扱いしております。銀貨は年代を重ねた虹色のトーンが特長です。
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