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2023.11.28 古銭買取穴銭

皇朝十二銭とは?本朝十二銭との違いは何?種類と価値を一覧でご紹介!

2024年7月から新紙幣の発行が開始されます。実に20年ぶりのデザインの変更に併せて、偽造防止のための多くの新技術が投入されるほか、多くの人に使いやすいユニバーサルデザインを意識したものへ変更されます。このような新しい貨幣の発行は現代だけではなく、古代日本でも定期的に偽造防止や経済政策の観点から、幾度となく新しい貨幣が発行されていました。この記事では、古代日本で流通した貨幣である皇朝十二銭を紹介します。

皇朝十二銭の概要

皇朝十二銭は日本で律令制度が制定されてから、朝廷によって発行された十二種類の貨幣の総称です。政府発行の正式な通貨のため、本朝十二銭とも呼ばれます。中国の唐代に発行された「開元通宝」を手本としており、いずれも「円形方孔」と呼ばれる円形で中央に四角い孔が開いているのが特徴です。まずは、皇朝十二銭の発行経緯など概要について解説します。

皇朝十二銭の発行経緯

日本初の流通貨幣と呼ばれる和同開珎が鋳造され始めた当時、日本は貨幣を必要とする幾つかの難題に直面していました。

1つ目は、統一された律令国家の成立です。当時の日本は中国の律令国家をモデルとして、広く法による統一を目指していました。貨幣制度の導入は、日本が独立した国家であることを示すと同時に、国内において統一的な経済尺度を持つことを示しています。国が保証する安定した経済尺度があることで、日本のどこでも公正な取引を行うことが可能です。また、貨幣の発行元を一本化することで、朝廷の支配権を確立させることも目的の1つでした。

2つ目は、都の造営費用です。奈良時代から平安時代初期にかけて、たびたび遷都が行われていたため都城の建築に莫大な費用を必要としていました。皇朝十二銭の主な原材料は銅です。銅の地金よりも貨幣の価値を高く設定すれば、貨幣を使用したときに差益が生まれます。この差益で都の造営費を賄うことを朝廷は検討していました。

皇朝十二銭が使われなくなった理由

朝廷の肝いりで発行が始められた皇朝十二銭ですが、乾元大宝を最後に作られなくなり、以後、安土桃山時代まで公式に発行される貨幣は存在しません。

その1つ目の理由は、原材料の銅の不足です。日本で産出される銅のほとんどは酸化銅や黄銅鉱などの銅化合物であり、貨幣として価値のある純粋な銅に精錬できる技術は、まだ当時の日本には存在しません。国内で純粋な銅が発見されたことを記念して、年号を「和銅」にするほど、当時の日本において銅の安定した確保は非常に困難でした。そもそも原材料の供給が安定しない以上、流通が限定的なものになるのはしかたがありません。

2つ目の理由は、貨幣の信用失墜です。紙幣で品物をやり取りできるのは、紙幣の価値を国民が信用しているためです。しかし、朝廷は銅の算出が限定的であったこともあり、新規発行のたびに鉛やすずなどの不純物の多い、小さく軽いものに変えていきました。結果、時代を経るごとに粗悪な貨幣が出回ることになり、経済はインフレーションが進みます。また、私鋳銭と呼ばれる贋金の横行や形の似ている中国からの貨幣の流入もインフレーションに拍車をかけ、ますます民間は貨幣への信頼を失いました。

3つ目は、朝廷の経済政策の失敗です。粗悪な貨幣が出回っていては市場で安心した取引はできません。都の造営費を集めたい朝廷は物価統制を何度も行いますが、成果は全く上がりませんでした。加えて、新規発行のたびに行われるデノミネーションも経済の混乱に拍車をかけます。政府が旧貨幣に対して新貨幣に価値を与えても、実際は材料不足から銅の含有量が極めて低い貨幣しか流通していないため、商取引での使用は困難です。また、平安時代に入ると朝廷による造営工事も行われなくなったため、そもそも貨幣を発行する必要性も薄れていきました。

皇朝十二銭と富本銭の違い

富本銭は、現在発見されている中で日本最古の貨幣です。富本銭は、平城京や藤原京など各地で散発的に他の皇朝十二銭と並んで出土する程度でした。しかし、1998年の奈良県飛鳥池遺跡の発掘調査では、実際の富本銭のほか、多くの失敗作、使用された鋳型や鋳造用の炉なども発見され、この遺跡が鋳造現場であったことが明らかになりました。この発見により、富本銭は708年に鋳造が始まった和同開珎よりも古い貨幣として位置づけられました。

ただ、流通貨幣として商取引に使われたか否かについては議論の余地があり、厭勝用、つまり、まじないや何かしらの儀式のために使用された可能性もあります。そのため、現時点では、最古の政府発行の貨幣は富本銭、最古の流通貨幣は和同開珎とされています。

皇朝十二銭の種類と買取額

現在、皇朝十二銭は古銭コレクターの間で非常に高額で取引されています。実に1,300年以上前に発行された貨幣であると同時に、古代日本の経済を知るための歴史遺産です。また、後期の十二銭は鉛の含有量が増えるため非常に脆く、現存数が少ないため、品質や保存状態によっては10,000,000円以上の値が付くものも存在します。この章では、皇朝十二銭十二種類のそれぞれの特徴と買取相場について、発行年代順に解説します。

和同開珎(わどうかいちん)

発行開始年代708年(飛鳥時代)
歴史的価値高い
買取相場~2,000,000円

多くの歴史の教科書にも登場する皇朝十二銭で最初に発行された通貨です。次に発行される万年通宝まで実に50年以上も発行され続けたため、幾度となくマイナーチェンジをくり返しています。厚手で稚拙な作りをした「古和同」と薄手で緻密な「新和同」に分けられるほか、穴の大きさや書かれている「和同開珎」の書体など、流通した年代によってさまざまな違いがあり、一目ではどの年代のものか判別は困難です。

また、50年以上も作られたため当時から贋金も多く、有名な貨幣であるため模造品も多く出回っており注意が必要です。本物であっても、年代ごとの希少価値が全く異なるため、非常に取引額に幅があります。

万年通宝(まんねんつうほう)

発行開始年代760年(奈良時代)
歴史的価値高い
買取相場~100,000円

2番目に発行された万年通宝は、和同開珎の発行から実に50年以上も後に発行が始まりました。ほぼ純粋な銅であった和同開珎に比べると、すずなどが混ざった青銅製であることも特徴の1つです。同時に金貨や銀貨も発行され、貨幣どうしの交換比率が定められたとの記録が残っています。

金貨・銀貨との交換比率に基づいて、和同開珎の10倍の価値を持つ貨幣として鋳造されましたが、当時の日本では受け入れられず、経済に混乱をもたらしました。また、発行を推進した藤原仲麻呂が政争で敗れたこともあり、わずか5年間しか鋳造されていません。あまりに短い発行期間であったため、純粋に市中に出回った枚数自体が少なく、その希少性に価値がついています。

神功開宝/神功開寳(じんぐうかいほう)

発行開始年代765年(奈良時代)
歴史的価値普通
買取相場~5,000,000円

3番目の皇朝十二銭である神功開宝は、2番目の万年通宝の発行時の失敗を踏まえ、万年通宝と等価で併用されました。また、後に和同開珎も等価とされています。また、発見された北限は北海道知床半島にあるチャシコツ岬遺跡です。北海道でも出土していたことから、当時の日本の流通網と経済圏の広さを証明する通貨でもあります。

表面の「神功開宝」には、発行年代によって書体の違いがあります。特に「功」の字の「力」の部分が「刀」になっているものは、非常に高値で取引されています。一般的な古銭としては、広範囲に流通したため出回っている枚数が多く、希少価値はやや下がります。

隆平永宝(りゅうへいえいほう)

発行開始年代796年(平安時代)
歴史的価値高い
買取相場~100,000円

皇朝十二銭の4番目にあたる隆平永宝の発行は、平安時代に入ります。隆平永宝の発行は単純な新貨幣の発行だけではなく、これまでの旧銭の廃止も目的でした。万年通宝と同様に、新貨幣1に対して旧貨幣10の交換比率が設定されましたが、導入を進めていた桓武天皇の崩御もあり、廃止計画は中止されます。しかし、この交換比率は以後新貨幣発行のたびに踏襲され、経済を混乱させます。

書体ごとに取引額が異なりますが、その違いは非常に些細な違いのため、素人では判断できません。また、比較的残存数が少ないため、希少価値は非常に高い古銭です。

富寿神宝(ふじゅしんぽう)

発行開始年代818年(平安時代)
歴史的価値高い
買取相場~1,000,000円

ここまでの4種類の皇朝十二銭は和同開珎を除き青銅製です。しかし、5番目の皇朝十二銭である富寿神宝は主に銅でできています。ただ、原材料である銅の不足から、これまでの皇朝十二銭と比較すると一回りほど小さく、軽いことが特徴です。また、富寿神宝以降は、鉛の含有量が新規発行のたびに増え続け、貨幣としての価値が非常に下がっていきます。

鉛は酸化しやすく柔らかい金属のため、鋳造された貨幣自体が脆いことも特徴の1つです。そのため、美品として現存しているものは非常に希少価値が高くなり、ものによっては1,000,000円を超えることもあります。

承和昌宝(じょうわしょうほう)

発行開始年代835年(平安時代)
歴史的価値やや高い
買取相場~100,000円

皇朝十二銭の6番目である承和昌宝は、日本で初めて元号が刻まれた通貨です。承和昌宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定されたため、旧銭を鋳つぶしての私鋳銭が横行しました。また、先の富寿神宝よりも、さらに鉛の含有量が増え、さらに小さくなったことが特徴です。以後、この大きさが皇朝十二銭の貨幣の鋳造基準になったとされています。

鉛分の増加により貨幣自体が原型を留めないままのものも多く、明確に書体が判読できるような美品であれば非常に高額です。

長年大宝(ちょうねんたいほう)

発行開始年代848年(平安時代)
歴史的価値高い
買取相場~500,000円

7番目の皇朝十二銭である長年大宝は、専門家でも判断が難しい古銭です。ほかの古銭の場合、刻まれた字体や材質、貨幣の大きさなどによって、さらに発行時期や価値が細分化されています。しかし、長年大宝の場合、「長」や「大」の字の位置や大きさが少しずつ違うものがいくつも発見されているため、細分化が非常に困難です。

そのため買取額が字体の違いで左右されやすく、大きな振れ幅があるのが特徴です。特に人気を集めているのは、サイズや字体が大きい「大様」と呼ばれるもので、品質の良いものは数十万円以上の値がつくこともあります。

饒益神宝(じょうえきしんぽう)

発行開始年代859年(平安時代)
歴史的価値非常に高い
買取相場~1,000,000円

皇朝十二銭の8番目は、饒益神宝です。貨幣の「饒益」は、通常「じょうえき」と読み、これは「物が豊かなこと」を意味しますが、同時に仏教用語では「にょうやく」と読み、これは「物を与えること」を意味します。この古銭以降、朝廷が発行した貨幣でさえも刻まれた文字が判読できないものが多くなります。粗悪な通貨を商取引に使わせない「撰銭」の最古の記録も、この貨幣が発行された時代です。

鋳造期間が11年と短い上に、現在に至るまで発見された枚数は76枚と皇朝十二銭の中で最も少なく、圧倒的に希少価値が高い古銭です。そのため、十分に判読できる状態であれば、その価値は計り知れません。

貞観永宝(じょうがんえいほう)

発行開始年代870年(平安時代)
歴史的価値普通
買取相場~500,000円

2回目の元号が付けられた古銭である貞観永宝は、9番目の皇朝十二銭です。発行された当時、主な銅の産出は長門国の長登銅山でした。しかし、産出された銅を地元の農民が雑器に使用したため銅が不足、このため貞観永宝は最初の鋳造後から、次第に小型化せざるを得なくなったと記録されています。

また、朝廷が公式に鋳造したものでも「文字が全く読めず綺麗な円形になっているものがない」と記録が残るほどの劣悪な古銭です。保存状態が良いものが少ないため、コレクターの間では高い相場で取引されています。

寛平大宝(かんぴょうたいほう)

発行開始年代890年(平安時代)
歴史的価値普通
買取相場~100,000円

皇朝十二銭の中で10番目に発行された貨幣が、寛平大宝です。この時期の貨幣は、幾度となく古い貨幣を鋳つぶして新しい貨幣を作り続けたため、銅貨自体の質が非常に低く、大きさもこれまでの十二銭と比べると、さらに一回り小さくなっています。当時は「寛平の治」と称された理想的な政治であったとされていますが、粗悪な貨幣が出回ることによる経済の混乱は避けられませんでした。

先の貞観永宝と比べると鉛の含有量が増えたため、やや重いのが特徴です。また、鉛が増えたことで摩耗しやすくなっており、文字の判読が可能なほどの美品は非常に希少です。

延喜通宝(えんぎつうほう)

発行開始年代907年(平安時代)
歴史的価値やや低い
買取相場~50,000円

11番目の皇朝十二銭である延喜通宝の発行期間は、約50年と歴代の中でも長期になります。皇朝十二銭の中でも現存数が最も多いとされていますが、鉛の含有量が増えたことで劣化が激しく、刻まれた文字の判読が不可能なものがほとんどです。

判読できないものは単なる鉛の塊のため、取引額は非常に低くなります。しかし、4文字全てが十分に判読できるほどの美品であれば、コレクターだけではなく博物館や研究機関も求める、文字通り歴史的なお宝です。

乾元大宝(けんげんたいほう)

発行開始年代958年(平安時代)
歴史的価値やや低い
買取相場~100,000円

乾元大宝は最後に発行された皇朝十二銭です。朝廷が乾元大宝の流通を祈願して伊勢神宮をはじめとした11社へ奉納したとの記録が残っています。しかし、朝廷の意図とは裏腹に、わずか5年で鋳造を中止しているため、流通範囲は非常に限定的であったと考えられています。

これまでの十二銭と比較しても、圧倒的に品質の低い貨幣です。なかには鉛の含有量が75%を超えるほど品質が低いものもあり、文字の判読が困難なものも少なくありません。価値が付かないものも多くありますが、反面、良好な状態のものは非常に高額で取引されています。

皇朝十二銭の買取について

皇朝十二銭は発行年代の古さや希少性もさることながら、多くの粗悪な私鋳銭が出回ったこともあり、プロの鑑定士でも真贋の鑑定が非常に困難です。古銭の買取を希望する場合は、古銭の商取引を専門に扱っている業者にお願いしましょう。また、品物によっては鑑定士ではなく、博物館の学芸員や専門の研究機関などの機関に鑑定依頼が必要になる可能性もあります。後でトラブルにならないためにも、正しく鑑定してくれる業者を選びましょう。



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