ミニカーとは |
ミニカーとはミニチュアカーという言葉を略したものです。このミニチュアカーという言葉は和製英語で正確な英語ではありませんが、基本的には自動車模型のことを意味します。日本でミニカーと称する場合は製作することを目的とするプラモデルや、走らせて遊ぶことを目的とするラジコンカーなどは含まれず、コレクションを目的とした完成モデルのことを意味します。ただし現在主流となっているマニア向けミニカーは1990年以降に一般化した物で、それ以前のミニカーは基本的には子供の玩具として発展していました。
ミニカーの誕生とその変遷 |
最初のミニカー
ミニカーは自動車を素材にした玩具でしたから、自動車が一般によく知られるようになってから登場しました。最初のミニカーとされる物はアメリカのダウスト社が鉛合金を素材としたダイキャスト製法で1915年頃に製作したフォードT型のモデルカーでした。 これは全長50mm程の小さな物でしたが、実車のディテールがある程度再現されフォードT型のモデルであることが認識できるものでした。この会社のミニカーはトゥートスィトーイというブランドでシリーズ化され、1920-30年代のアメリカ車がモデル化されました。
同時期のヨーロッパではイギリスのブリテン社、フランスのソルジュエ社、ドイツのメルクリン社などの玩具メーカーが、鉛で出来た兵隊シリーズなどの付属的な玩具としてブリキ製の自動車モデルを作っていたそうです。ただしそれらは特定の車を再現した物ではなく、ゼンマイ駆動で走らせることができるといった類の玩具でした。また使われた材料が粗悪で、製造技術も稚拙であった為コレクションの対象となるようなものでは無かったようです。
1930年代のミニカー
1930年代になると精巧なトゥートスィトーイのミニカーに影響されて、実車をモデルにしたダイキャスト製ミニカーが次々と登場してきます。1932年にフランスのソルジュエ社がソリドのブランドで、1934年にイギリスのメカノ社がディンキートーイのブランドで、1935年にドイツのメルクリン社がメルクリンのブランドでダイキャスト製ミニカーの製作を始めました。メカノ社とメルクリン社は鉄道模型メーカーであり、鉄道模型のジオラマ用アクセサリーとしてミニカーを発売したようです。その為、それらのミニカーは当時の鉄道模型の標準Oゲージ規格(イギリス1/43 ドイツ1/45)に合わせて作られていました。ソリドも1/40と1/50と似たような縮尺を採用していました。現在、これらのミニカーは我々からは非常に簡単な作りの素朴な物に見えます。当時としては最高の出来映えのミニカーでした。この大戦前に製造されたミニカーは戦前モデルと呼ばれ、現在でも非常に高く評価されています。
1940~1950年代前半のミニカー
戦後はブリキ製に比べて大量生産が可能なダイキャスト製やプラスチック製の玩具が主流となり、一般大衆に自動車が普及したことが本格的なミニカーの発展を後押ししました。一般大衆が自動車のブランドベンツとかワーゲンとかデザインの違いを認識するようになったことが、ミニカーにスケールモデル的な要素を要求するようになった理由ではないかと思います。また実車同様に色々な車種のミニカーを作ることで、より多くのミニカーを販売できるというメーカー側のメリットがあったからだとも思います。
ミニカーはだんだん実車に似せたスケールモデル的な物になっていきました。ミニカーはもともと子供向けの玩具でしたが、スケールモデル的な要素が加味された精巧なミニカーは大人の興味を引くようにもなり、大人のコレクション対象にもなっていきました。とはいっても、1990年代頃まで購買層のほとんどは子供だったわけです。
1950年代後半~1970年代前半のミニカー(ヴィンテージ期)
1950年代にはコーギー、マッチボックス、ノレブなどの新興ブランドが続々と登場し、ミニカーメーカーは競合の時代に入りました。この競合状態で自社のミニカーを差別化するため、各メーカーは競って新しいギミックをミニカーに取り入れるようになりました。例えば透明プラスチック製のウインドースクリーンですが、これはコーギーが初めて採用しました。それまではウインドーが無かったので、このアイデアはミニカーのリアリティを飛躍的に向上させました。その後もスプリング・サスペンションの付いた車軸、シートなどの内装の再現、ボンネットやドアの開閉機能など様々なアイデアが採用され、ミニカーのリアリティはさらに向上していきました。このようなリアリティの追求は1970年頃まで続き、この時期には素晴らしいクオリティのヴィンテージ・ミニカーが数多く生まれました。
日本では1955年(昭和30年)にアメリカの玩具メーカー ラインマー社の依頼で倉持商店が約1/60サイズのアメリカ輸出向けミニカー(コレクトーイ)を製作しています。 ※ただこれは国内では販売されなかったようで、あまり知られていません。
1959年(昭和34年)には旭玩具製作所が1/43サイズのモデルペットを発売し、これが国産初のミニカーとされています。また1961年(昭和36年)に大盛屋玩具からミクロペットが発売されましたが、1965年に生産中止となりました。この大盛屋の型を引き継いで登場したのが米沢玩具のダイヤペットでした。ただこの時代の国産ミニカーは当時既に輸入されていた外国製ミニカーには精密さや仕上げなどでまだまだ及ばないものでした。現在主流であるトミカは1970年に登場しています。
1970年代後半~1980年代後半のミニカー
リアリティを追求する流れは1960年代の終わりに変わり始めました。当時のアメリカ市場にはヨーロッパから大量のミニカーが輸出されていました。アメリカ最大の玩具メーカーマテルは小スケールのミニカー「ホットホイール」を1968年に発売しました。これは主にマッチボックスに対抗したもので、派手なメタリックカラーのホットロッドなどアメリカ的趣向の車がモデル化され、最大の特長は転がり抵抗の少ないホイール「スピード・ホイール」を採用していることでした。ホットホイールは押して走らせた場合の走行性能を売り物にしたミニカーでしたが、この子供向けの戦略は大当たりしこの大ヒットで他社の小スケール・ミニカーも「スピード・ホイール」と同じようなホイールを採用するようになりました。さらにこの流れはとどまらず、1/43サイズにも波及しリアリティのかけらもない「スピード・ホイール」が一般的に使われるようになりました。この「スピード・ホイール」の流行は大人のコレクタにとって「ミニカー冬の時代」の始まりでした。
戦後に高度成長を続けたヨーロッパ経済は1973年のオイルショックを契機に長期的な不況に見舞われるようになりました。この不況でミニカーメーカーも経営状況が悪化しました。販売不振からコストが掛かるリアリティ重視のミニカー製作方針は見直され、部品点数を減らした安価で粗悪なミニカーや見た目が立派な割にはコストが掛からない大スケール(1/24-1/36)のミニカーが製作されるようになりました。
さらに老舗メーカーの多くが倒産したり他の玩具メーカーの傘下となるなど、ミニカーメーカーの再編が80年代に行われました。またスペインやポルトガルなど人件費の安い国に生産が移転し、新興のメーカー(オートピレンやビテスなど)が登場してきました。
国内のミニカーメーカーもホットホイールに影響されました。 ダイヤペットが採用した「スピード・ホイール」は幸いにもあまり見栄えが悪くはありませんでしたが、ホットホイールより後に登場したトミカは最初から「スピード・ホイール」でした。またオイルショックによる国内の不況もありましたが、それでミニカーのレベルが落ちるといったことはあまり無かったと思います。それよりも日本ではこの時期に少し変わった社会現象が起こりました。1974年から1978年にかけて、池沢さとしの漫画「サーキットの狼」の影響で、一般大衆の手が届かない高性能スポーツカーへの異常な人気(いわゆるスーパーカーブーム)が生まれました。
当然のことながら、このブームはミニカーにも波及し、国内のミニカーメーカーは大挙してスーパーカーを発売しました。ダイヤペットだけではなくサクラのスーパーカー・シリーズ、永大のグリップ・シリーズなどの新しいブランドが登場し、玉石混淆ながらたくさんのミニカーが発売されました。このスーパーカー・ブームの特需で、この時期国産のミニカーメーカーは景気が良かったようです。ダイヤペットは、プリンス ロイヤルやリンカーン霊柩車などのミニカーを意欲的に発売し、トミカ ダンディも高品質な1/43サイズの外国車シリーズを発売しています。輸入ミニカーが不振だったことを逆手にとって、この時期は国産メーカーががんばっていたように思います。
1990年代以降
1980年代後半から90年代にかけて、従来の子供向けのミニカーとは一線を画した大人のコレクター向けミニカーが登場してきました。コレクター向けミニカーはクラシックカーなど特定分野では以前からありましたが、高価格な物が多くあまり一般的ではありませんでした。このコレクター向けミニカーに本格的に取り組んだのは、ポルトガルのビテスが最初ではないかと思います。ビテスの初期のミニカーはあまり良い出来映えではありませんでしたが、だんだん精密なミニカーを作るようになりマニアックなバリエーション展開を行うようにもなりました。さらに1990年に登場したミニチャンプスはその品質の高さでコレクター向けミニカーというジャンルを確立しました。その後もイクソや新生ノレブなどコレクター向けミニカーの新しいブランドが次々と生まれてきました。
国産ミニカーでは子供向けミニカーのダイヤペットが1994年頃にセガ・トイスの傘下となり、従来のような新製品が出なくなりました。その代わりに京商やエブロといったコレクター向けミニカーの新ブランドが登場してきました。2001年にデルプラド・ジャパンがミニカー付き雑誌を初めて発売し、この雑誌は子供向けでないミニカーの存在を世に知らしめることになりミニカーマニアの底辺を広げたとおもいます。また主として子供向けのミニカーであった小スケール品にも、京商のコンビニ限定の1/64ミニカー・コレクション・シリーズやトミカ リミッテドのようにリアリティを追求する精密なミニカーが登場するようにもなりました。これらの比較的安価でなおかつ精密なミニカーが増えたことも、ミニカーマニアの底辺を広げたとおもいます。 これらのコレクター向けミニカーの一般化がミニカー新時代の始まりであったと考えています。
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