日本の陶磁器・焼き物の歴史2 |
その4.備前焼
六古窯の一つとされる備前焼は平安時代に作られた須恵器の流れをくんで、日常品として使われる壺・甕・擂り鉢などが多く焼かれてきました。 鎌倉時代初期には還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれ、鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれてきました。この時代に今の伊部地区に備前焼きの窯が開かれたと言われています。釉薬を使用せず、焼締で作られる備前焼きの焼き物は落としても壊れないと評判も高く広く庶民に広がっていきました。 室町時代から桃山時代には茶道の広がりとともに茶陶としての人気が高まり、窯元の数も広がっていきましたが、江戸時代には茶道の衰退とともに 備前焼きの存在が薄れてきた時代がありました。明治、大正の時代を過ぎ、昭和に入ったころ、備前市伊部に生まれ、備前焼きの代表作家である金重陶陽氏らが土と炎で奏でる窯変(ようへん)の美を追求し、備前焼きの人気を復興させることで、備前焼きは伝統的な焼き物として現在の地位を確立したと言えます。
その5.美濃焼
美濃焼は、平安時代には灰釉陶器が焼かれ、一般民衆のための無釉の山茶碗なども焼かれていたようです。初期の頃は鉄釉や灰釉などの初歩的な施釉陶器だけでしたが、室町時代には本格的な釉薬を施した陶器が焼かれるようになり、次第に天目釉や黄瀬戸の茶碗、片口などの食器類が焼かれるようになりました。室町時代の末期には、地元の土を使っての手ろくろ成形や、木ベラでの装飾技法も発達し、やわらかな土味を生かした美濃焼の特徴があらわれるようになりました。桃山時代に入ると、黄瀬戸や瀬戸黒、志野といった焼き物が次々と生まれ、茶陶文化が一気に花を開かせました。この茶陶文化が発展したひとつの要因として、千利休の侘び茶の世界が確立され、茶会席が流行したことが挙げられます。 昔は茶陶の歴史に大きな影響を与えた志野や織部を生んだ美濃焼ですが、時代の流れとともに茶陶から日常雑貨に移行されてきました。後に陶器に代わって磁器の製品が美濃焼の主力商品となっていったのです。現在では和食器中心の陶磁器製品だけでなく、マグカップやティーポットなどの洋食器や、工業用タイルなどの生産も盛んに行なわれています。美濃焼が焼かれている岐阜県多治見市周辺は、現在、国内の和洋食器の半分以上が生産される一大窯業地帯となっています。
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